事前防災の必要

明日で、東日本大震災から5年半が経過します。

本日の公明新聞に「事前防災」の記事が出ておりました。

巨大津波に備える高知県黒潮町の取組を掲載させていただきます。

3・11 5年6カ月 事前防災 高知・黒潮町

あす、東日本大震災から5年6カ月。私たちは惨禍から何を教訓とすべきなのか。毎月1回、シリーズで各地の挑戦を紹介していく。第1回のテーマは「事前防災」。巨大津波に備える高知県黒潮町の取り組みを追った。(文=服部剛、所正夫、写真=鈴木俊明)

30メートル級津波でも犠牲ゼロに

高台に上ると水平線が見えた。風はないが波は高い。国道を挟み、海と家が近いことに驚く。眼下の景色を濁流がのみ込むと思うと、ぞっとせずにはいられない。

「最大震度7、最大津波高34.4メートル」。内閣府の有識者検討会が2012年3月31日に発表した南海トラフ巨大地震の新被害想定は、黒潮町に衝撃を与えた。

1、2階建ての建物がほとんどの町に、8階建てビルに相当する高さの津波が襲い掛かるのだから無理もない。人口約1万2000人の町で、犠牲者は最悪の場合、2300人に上る。

町民の秋澤香代子さんが詠んだ短歌は、当時の雰囲気を端的に表している。

<大津波/来たらば共に/死んでやる/今日も息が言う/足萎え吾に>

大津波が来たら足の悪い自分を置いて逃げろと息子に頼むと、一緒に死んでやると言ってくれた―。やさしさとともに諦めを感じさせる内容だ。

避難タワー、戸別カルテなど 根付いた「諦めない思い」

新想定を受けて既存施設の隣に新設された津波避難タワー=高知・黒潮町大西勝也町長は、町民に広がった諦めムードに危機感を覚えた。逃げても無駄との考えがまん延すれば、5メートルの津波でも逃げずに死んでしまうかもしれない。具体策を講じる前に取り組んだのが防災思想の形成だ。決まった思想の“肝”は、住民に避難を「諦めさせない」こと。犠牲者ゼロをめざす挑戦が始まった。

まず、住民が津波から逃げられる環境にあるのかを確かめるため、避難空間の見直しを始めた。議論の結果、避難道や避難所に多くの課題が見つかった。

例えば、既存の津波避難タワーの高さと数が不十分だと判明。より高く頑丈なものを計6基造ると決めた。津波の漂流物がぶつかり、多くの命が失われた3.11の教訓を踏まえ、周囲にポールを立て本体を守る構造にした。来年3月末までに、こうした避難空間の見直し計画の95%が完了する。

ソフト対策も進む。一人一人の避難方法を把握する「戸別避難カルテ」は、対象世帯の全てで作成を終えた。集落の最小単位である班(10~15世帯)ごとにワークショップを開き、住民自身に記入してもらった。自分で書くことで防災意識が高まり、避難行動が早くなる効果があるという。

年に1度、町を挙げて開催する総合防災避難訓練には4000人が参加する。地域単位での避難訓練や学校での防災教育など、日常に防災が定着している。

津波の避難道で会った岡村さん。防災対策に関して町民の意識は高い町民の思いはどうか。「町の素早い対応に感謝する」という大方地区の岡村弘さんは、周囲に避難訓練への参加を呼び掛けると話す。先に紹介した秋澤さんの短歌も変わった。

<この命/落としはせぬと/足萎えの/我は行きたり/避難訓練>

諦めムードは去った。恵みと脅威をもたらす海と付き合う「作法」を町民は身に付けたのだろう。

3.11から5年半―。南国の小さな町で教訓は確実に“かたち”となって実を結ぼうとしている。

=大西町長コメント新しいウィンドウで開く

解説

「3.11」の教訓を生かせるか―。政治と行政に突き付けられた問題だ。

3.11後、「想定外」を耳にしたが、この言葉をなくす対策が急がれる。自公政権は大規模災害に備え、人命を守り被害を最小限に抑える事前防災の観点に立った「国土強靱化」を強力に進め、ハード・ソフト両面で政策を展開している。

地方でも国土強靱化が進められるが、黒潮町の事前防災の取り組みは先駆的事例といえる。「犠牲者ゼロ」へ、役場と住民が一体となって防災意識を高め、住民の目に見える形で手を打つ。全職員に防災担当を兼務させ日常から大災害に備える。こうした先見性と決断力が対策強化に不可欠だ。

事前防災力の向上へ、地域防災計画と併せ国土強靱化地域計画を策定することも重要だ。32都道府県が策定済みで、市区町村単位の策定も進む。「犠牲者ゼロ」への挑戦に期待したい。